ここ新仲見世商店街は浅草の中央を東西に抜ける380メートルのアーケード商店街です。
平成23年に完成した新アーケードは、日中車両が通れない為晴れの日も雨の日もゆっくり、のんびりとお買い物・ご飲食ができます。

また、商店街は長い歴史とと共に絶えず新しい企画に挑戦し続けている商店街です。
きっと皆様が来て頂くときも、何かと新しい出会いがあると思います。
新仲見世商店街マスコットキャラクター「新にゃか」と共に、皆様のお越しを110店舗、心よりお待ち申しあげております。

浅草新仲見世商店街振興組合 理事長 大谷 友孝

新仲のあらまし

浅草新仲見世商店街振興組合は浅草松屋と公園六区の振興街を結ぶ商店街のことで、その間の、仲見世、中央通り(旧・ちん横通り)、オレンジ通り、公園通りをそれぞれ横切ることで1、2、3、4、5の各部に分れています。

進化を続ける新仲商店街

当組合の歴史は浅草の他の商店街に比較して新しく、大正震災後の区画整理からのことです。 即ち昭和5年に浅草松屋が開店、それに伴い六区振興街までの道が出来、ここに初めて商店街らしい形態を整えるに至りました。

以後、浅草に二大拠点を結ぶ東西通り会として重要な機能を果たし、発展していきました。 しかしその努力もむなしく昭和20年3月10日の東京大空襲で一挙に廃墟と化してしまいました。

震災・空襲を乗り越えて

浅草新仲見世商店街が今日見る近代的商店街として装いを新たにしたのは戦後も23年頃からです。 まず各部会ごとに活動を開始、そして全覆式アーケードの建設に踏み切りました。 次いで統一看板を設置。その一方では共同売り出しを実施。 ハード、ソフト面で充実した商店街活動を展開し、名実とも浅草を代表するショッピングストリートとなっていきました。

近代的な商店街への復興

その間、流通の変化は激しく、これに対処するには通り会組織を1本化し、全組合員の意思統一を図る以外に途はないと結論し、昭和53年6月20日法人化を果たし、浅草新仲見世商店街振興組合と改称しました。 そして初代理事長に飯村茂氏、二代目理事長に染谷三郎両氏が就任しました。 振興組合として最初の環境整備事業は昭和60年の”黄金の電飾統一看板”の設置。 続いて昭和62年に”青海波”デザインのカラー舗装化の実現でした。

新しい時代に対応するために

これらの環境整備事業は、昭和56年以来、商業専門家を軸に官民が一体となって策定を急いでいた「浅草コミュニティマート構想モデル事業」のなかから生まれたものです。これにより、当組合ではつくばエクスプレス「浅草駅」オープンに対処し、全長380メートルに及ぶ全覆式統一アーケードの建設(大規模修繕)を実現しました。

そして現在

平成21年よりアーケードの大規模修繕工事が開始し、平成23年3月に新アーケードが無事完成しました。奇しくも工事期間中に東日本大震災を経験しましたが、既に新アーケードは完成していまいしたので事なきを得ることができました。
また7月には当商店街マスコットキャラクター「浅草 新にゃか」が誕生しました。
これからも新仲見世商店街は今まで以上に「安心・安全」にお買い物が出来る商店街を目指してまいります。

浅草で「新」といえば、新仲。新仲見世

交通の要所である新仲1部(東側玄関)には、東武線、銀座線、浅草線、都バス、隅田川水上バスの駅があり、浅草の娯楽街である新仲5部(西側玄関)には、落語・漫才や映画館、ボウリング場がならぶ六区商店街に隣接しています。
店舗数108、新仲1部~5部の長さは 380m。

年間3000万人もの人が訪れる日本を代表する歴史・観光のまち「浅草」。
1年の始まりである新年参拝、5月の三社祭、7月の隅田川花火大会、ほおずき市、8月の浅草サンバカーニバル、11月の酉の市、12月の羽子板市など、国内はもとより、世界中から観光客が訪れ笑顔になる日本の心のふるさと「浅草」。

この浅草の東西を結ぶ浅草最大のショッピングモールが新仲見世商店街振興組合、通称、「しんなか」です。 昭和が漂う商店街に是非お立ち寄りください。

 

一部(馬道通り〜仲見世通り)

二部(仲見世通り〜中央通り)

三部(中央通り〜オレンジ通り)

四部(オレンジ通り〜公園通り)

五部(公園通り〜すしや通り)

浅草新仲見世商店街振興組合

  • 東京都台東区浅草1-39-2
    • 業務時間:10時~18時(土曜日:10時〜15時)
    • 休日:第1・3土曜、日曜、祝日及び年末年始(29日~3日)
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